2006年05月30日

小沢健二『毎日の環境学』(東芝EMI)

オザケン、4年ぶりの新作は全曲インスト集。

前にやっていたHPでオザケンの沈黙についてひとつの
仮説を立ててみたことがある。それはー
彼の中で自分のやりたい音楽と彼自身の「声」が、乖離して
しまっているのではないか、ということ。

オザケンのあの声と歌唱力(失礼!)がいちばん生きるのは、
やはり彼自身も影響を受けた「ネオアコ/ギターポップ」風の
音楽だろう。それを待ちわびているファンも少なくないと思う。

しかし彼自身は、豪勢なブラス・セクションなんぞをバックに、
ジョン・レノンかポール・ウェラーばりにシャウトする、
そういうマッチョ的な音楽に憧れていたのではないか。
マッチョという表現が悪ければ、ソウル寄り、とでも言おうか
(いやソウルのこともよく知らないのだけれど)。

「声」というのはその人の身体の結果であり、その人の
生きた証でもあり、とどのつまり人は自分の出せる声しか出せない
(なんのこっちゃ)。ボイストレーニングなどで「改良」は
できても、声を根本から再構築するのは不可能。だからこそ
我々は愛しい人の声をずっと聞いていたい、と思うのだ。

このCDに収められた音楽自体は、タイトル通り毎日聴いても
飽きなさそうな心地よい仕上がりになっており、その辺は
さすがオザケンだなあと脱帽するしかない。

しかしいっぽうで、自らの声を消し去ってしまった彼に、
どこか痛々しいものを感じてしまうのだ。自分を消し去りたいと
いう欲求ゆえに拒食症になってしまったというカレン・カーペンターの
エピソードを読んだときに感じた、あの痛々しさ。

オザケンは少しずつでも、自らの「声」を取り戻してゆけるのだろうか…



posted by midland at 10:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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