2006年06月09日

シーサーから遠く離れて。

えー、すみませんが、ブログを移ることにしました。
こちらです↓

http://middleland.blog70.fc2.com/

こちらも残しておきますが、以後新しい記事は上記の
ブログに書いてゆきますので、どうぞよろしくお願いします。


posted by midland at 17:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月07日

映画『ブロークン・フラワーズ』。

私は四国(香川)に住んでおり、四国とくればなんといっても
八十八カ所巡礼だ。私の周囲にも巡礼にハマり全寺制覇、すでに
2巡目という強者がいる。

しかし私がやってみたい巡礼はそういうものではなくて、
いわゆる「友達めぐり」だ。仕事をやらなくてよい年齢、
あるいは余命いくばくもないという状態になれば、
ネットでの情報を頼りに小学校時代からの友達に会って
廻りたい、そう考えていた。

この『ブロークン・フラワーズ』の主人公は、私がやりたいと
思っていることとかなり近いことをやっていて、それが
ただひたすらうらやましい。たとえ訪問先で味気ない食事を
出されたり、1発殴られたりしてもだ。

おせっかいな友人のリサーチ(ドライブ用の音楽CD-Rまで用意)
を頼りに、5人の旧き恋人達を巡る旅。うちひとりは墓の中に
おり、それが何とも切ない。また彼が探していた女性が誰かは、
結局つかめなかった。

でもいいのだ。旅したことはたしかに彼のなかで何かと
なって生きるだろう。そして彼自身も「生きて」ゆくのだ。

かつて愛を交わした女が、死んでいないかぎりは今もどこかで
寝たり起きたり、仕事したり子育てしたりしている。でも
彼のように動かないかぎり、決して出会うことはない。
考えてみれば、不思議な話だ。

伝えたいことが伝わらないやるせなさと、ビル・マーレイの
仏頂面。ジム・ジャームッシュの映像は、いつも「そんな風に
思うのはキミだけじゃないんだよ」と温かく語りかけてくれる。

見終わった後は、近くのパン屋で買ったサンドイッチを頬ばった。
ラストで出てきたのが、あまりにウマそうだったので。



posted by midland at 16:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月06日

マイケル・ジャクソン、『SMAP×SMAP』に登場。

「SMAPのメンバー達が歌って踊っているところにマイケル乱入」
というイメージを勝手に頭で思い描いてしまったため、ちょっと
肩すかしという感じもした。まあ今のマイケルはおそらく歌えないし
踊れないだろうから、ああいう形(SMAPの歌が突然中断したところで
スポットライトをあびながら登場)で入ってもらうしかないのかな。

しかし…歌わない&踊らないマイケルなら別に本人ではなくても
替え玉でよかったのではないか。じっさい、替え玉だったりして。
マイケルにサインしてもらったのが「TAKAI」になっていて
落ちこんでいる中居クンがちょっと、おかしかった。

後半は安室奈美恵のヒットメドレー。久しぶりにみたけど
声に伸びがでて、全盛時より良くなっているように思える。
SMAPとの共演では低いキーで歌わざるを得ない局面も
あったが、それもうまくこなしていた。

あとは曲だな、曲。ヒップホップやR&Bにこだわらず、
フォークっぽいのとかボサノバとか、いろいろ試してみれば
いいと思う。とりあえず、カバーアルバムを1枚作ってみたら
どうだろう、アムロちゃん。

同じ時間帯で『ポップジャム』の拡大版がNHKでオンエアされて
おり、特集はドリカム。歌詞といい衣装といい、なんとなく
宗教がかってきたような気がした。吉田美和の高音にはもはや
限界を感じてしまうが、これは年齢的にも仕方ないか。
ナビゲーター(?)の安めぐみは文句なし。ファンです。

posted by midland at 15:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月31日

『あなたに不利な証拠として』

自身も警察官だった、ローリー・リン・ドラモンドによる
短編集(早川書房刊)。主人公はすべて女性警察官だ。

キャサリンという女性を主人公にした冒頭の3編からして、
いきなり重い。死臭に苦しみながらも現場検証のノウハウを
身につけてゆく彼女、愛する夫(やはり警察官)の殉職に接し
ながらも冷静に捜査を続ける彼女、そして、ついには
精神異常者の凶刃に倒れる彼女…そんな姿が淡々と描かれてゆく。

銃社会のアメリカにおいては、ちょっとした職務質問でさえ
命がけだ。自身を守ろうと発砲すれば世間の非難をあび、
かといって一瞬油断すれば命を落としてしまう。銃や麻薬を
めぐる犯罪はなくなるどころか、増える一方だ。

そんな状況で職務を全うしなければならない彼ら。
その「やるせなさ」は先日見た映画『クラッシュ』にもにじみ出ていた。

あの映画の、マット・ディロン演じる警官やその同僚に
シンパシーを感じる人であれば、この本は読むべきだろう。
やり切れない思いの中、虫けらのように殺されていっても、
確かにキャサリンは「生きた」のだ…そう思わなければ
やってられない。

一貫して冷徹な描写は、ある意味ハードボイルド以上に
ハードボイルドだ。それでいて、ハードボイルドの書き手が
よく陥る自己陶酔やセンチメンタリズムが徹底して排除されて
いるのも興味深い。作者は、ひょっとして一般読者だけでなく
犯罪の現場にいた自分をも納得させるような作品を書きたかった
のではないだろうか、と勘ぐりたくなる。

単なる「犯罪小説」ではなく、まさしく様々な「人生」を
切り取った作品集。じっくり、腰を落ち着けて味わわれることを
おすすめすしたい。
posted by midland at 16:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月30日

小沢健二『毎日の環境学』(東芝EMI)

オザケン、4年ぶりの新作は全曲インスト集。

前にやっていたHPでオザケンの沈黙についてひとつの
仮説を立ててみたことがある。それはー
彼の中で自分のやりたい音楽と彼自身の「声」が、乖離して
しまっているのではないか、ということ。

オザケンのあの声と歌唱力(失礼!)がいちばん生きるのは、
やはり彼自身も影響を受けた「ネオアコ/ギターポップ」風の
音楽だろう。それを待ちわびているファンも少なくないと思う。

しかし彼自身は、豪勢なブラス・セクションなんぞをバックに、
ジョン・レノンかポール・ウェラーばりにシャウトする、
そういうマッチョ的な音楽に憧れていたのではないか。
マッチョという表現が悪ければ、ソウル寄り、とでも言おうか
(いやソウルのこともよく知らないのだけれど)。

「声」というのはその人の身体の結果であり、その人の
生きた証でもあり、とどのつまり人は自分の出せる声しか出せない
(なんのこっちゃ)。ボイストレーニングなどで「改良」は
できても、声を根本から再構築するのは不可能。だからこそ
我々は愛しい人の声をずっと聞いていたい、と思うのだ。

このCDに収められた音楽自体は、タイトル通り毎日聴いても
飽きなさそうな心地よい仕上がりになっており、その辺は
さすがオザケンだなあと脱帽するしかない。

しかしいっぽうで、自らの声を消し去ってしまった彼に、
どこか痛々しいものを感じてしまうのだ。自分を消し去りたいと
いう欲求ゆえに拒食症になってしまったというカレン・カーペンターの
エピソードを読んだときに感じた、あの痛々しさ。

オザケンは少しずつでも、自らの「声」を取り戻してゆけるのだろうか…

posted by midland at 10:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。